海のXファイルへのエスキース12型
譜面調査報告
ドビュッシー脳内
管弦楽の為三つの交響的素描「海」への構想
特徴

(注1)1903頃の書簡、および作品の献呈などから知的交流興味から交際に至った経緯が理解判断できる。(ほかに不妊という身体的なことも指摘される。[その要因は特定できず])

(注2)同時期にピアノ曲集「映像第一集」には水の反映があり、それ以前にも歌劇「ペレアスとメリザンド」においても「泉」・「海辺」の音楽あり、海の一つ前の大規模な管弦楽曲の三つの「夜想曲」の終曲は「海の精」、さらに歌曲「海は伽藍より美しい」と言う具合に、作品「水の題材」の割合はかなりを占めるものである、この辺の言及においては、ジャンケレビッシ・青柳いずみ子女史の評論に勝るものはなく是非拝読されん事を願わん。

1903年大作歌劇「ぺレアスとメリザンド」の後ドビュッシーは、前作と違う表現をめざし新たなる題材を模索していた、そんな彼の心にとまったのは、自らが幼い時から思い入れのある海の姿であった。
彼がそうした海を創作の対象にするに至った理由は、楽譜の表紙にされた「神奈川(関東)沖波裏」の絵がそうした衝動を喚起したかもともいえる。・・
しかし、その背景には、また当時の私生活での,自らの創作を理解しない、芸術とは無関係の教養領域の妻(注1)への密かな不満と、他諸事情による夫婦の不仲、彼の芸術を深く理解したエマ・バルダック夫人との不倫などの、諸々の生活の困難、スキャンダルによる心的抑圧からの心理的幼児退行による逃避」として、かつて「音楽があって。彼の幼児期のころの叔母とのバカンスでの別荘地での、音楽との出会いを含めての「楽しい海の思い出」が、彼を「海」へ向わせたとも言われている。いずれにせよ「海」は幼年期からのドビュッシーの心の源泉であり、そのたゆまない水と光の移ろいは、絶えず推移変遷する具象は表現として扱いたい興味有る対象であり、その音楽的創作の道筋からも辿りつくべきして、たどり着いたものかもしれない。(注2)
出版に際しての校定ポイント
「ぺレアスとメリザンド」の初演者で作曲家のメサジュに宛てた1903年9月12日の手紙で曲の着手と構成について簡単にして丁寧な挨拶のあとこう書き記されている

「海」 
管弦楽の為三つの交響的素描
1:サンギネル(血なまぐさい)島の美しい海
2:波の戯れ
3:風が海を踊らせる

(Ⅰのみが大幅な改題をうけるが他は趣旨の変化はない。)

デュラン宛ての手紙での彼の自身の程はかなりのもので、私生活のトラブルの原因はかりでなく、移ろい行く対象に魅力を感じでいた作曲者にとって「海」は、そうした、「移ろい行く作風による風と水」の作曲の集大成にふさわしい「魅力的題材」でもあったのは間紛れも無い事実であろう。

仮定と問題点

後の題名変更から、「海」への私事めいた意味合いから普遍的な具象へ心境が変わっていった。

備考
書簡集参考
図版
書簡集参考

北斎動機説の決定的証拠?

1910年代の作曲者の家で、サティー(1866-1924)の撮影した作曲者とストラヴィンスキー(1882-1971)。右上の壁にかかる一番目の「北斎の神奈川(関東)沖波裏」の額縁に注目!

ドビュッシーはデュランに当てた手紙に

私は船乗りと言う素晴らしい職業につくつもりだったのですが、ひょんな運命の悪戯で別の道(作曲家)を歩むこといなったのは、ご存知ないとおもいますが・・

と書き初めている書簡がありその点で多くの評伝と楽曲解説のドビュッシー=「海好きの」の根拠となっている。

さて・・・この見識豊富でアイロニカルな、しかも少々屈折しての人物言う事であり、どれだけが真実かはココでは、判断保留としたい、じつに自身「名無しさん」のクロッシュ氏名義で書いた、連載評伝の言いまわしをみると、これも何かの比喩か揶揄もしくは自嘲的感情に満ちているようにも読めるゆえである、

 

 

 

北斎 神奈川(関東)沖波裏




 
初期-第一版(旧)- 

 
初期(デュラン社譜面-第1版-)
手書き原稿及び下書き?(ショートスコア1903-5)[A1.EP1-3・T等]
特徴

最新情報2015

ロチェスター大学図書館

自筆譜面の複写が所蔵されており、紹介記事からは、一部の書き込みから創作日程がわかる事実がわかる

しかし此処で扱う当該事例とは多少軸がことなるので、

他の博物サイトの面々に お頼みしたい所存。

 

 

手書き(あたりまえだけど) 三段から四段のパーティセル清書
出版に際しての校定ポイント
[ ]は相当すると思われるデュラン校訂報告の符号版下用原稿・ショートスコア及びスケッチ・断片など(2015新情報あり)
仮定と問題点

どの程度が各版のスコア&ポケットスコアに反映されたのか?

備考
初期(デュラン社譜面-第1版-)への過程として興味深い。

また別記最新情報と照らし合わせると。

ショートスコア完成がかつての一般より一日はやい、現在では自筆の末尾に準ずる「1905年3月5日(日曜日)、夕方」だげ一時間遅いの6時とか、
1970にブーレーズが閲覧し幾つかの記入についてのやり取りをしたことなども判明している。
しかし

紹介記事のショートスコアはパーティセル三-四段ぐらいの清書楽譜。
 自筆が二部用意とされるが?下記管弦楽総譜の自筆清書がもう一部では
、初演までの管弦楽への器楽配置はすでにこの時期なされていたのか、八月の一部修正までなされており、書簡の校正の指示を見るにすくなくとも10月15日初演の前には、なされていた筈であろうが、下記総譜の日付は単にパーティセルの完成日付で別にあるのか手元の情報では判断しかねるところもある。
図版

ドビュッシーとエマ・・・・当時は渦中の人物。前の妻のピストル自殺などもあり、とっても「フルハム」*状態か?

*当該といえば今はカズだが当時はペーズリー柄の伝道師疑惑の80年代

60-8小節

62

63

連続

3連

     
初期(デュラン社譜面-第1版-)
自筆管弦楽総譜(1903-5 音友版に一部掲載)[A2]
特徴

(注)1905ごろの書簡に誤植修正を譜面の箇所で指示いているものが、出版されている書簡集で見れる。

最新情報2015

さらに本国フランスでの

上記の対象がショートスコアでありこちらは管弦楽スコアの自筆ノート

IMSLPでA2と思しき自筆譜面をスキャンしてアップした強者がいる

La Mer

強者の言う1909版の状態は多少あやしいが?スキャン内容はデュラン1997の記述となにかしら酷似合致するものであり。

初版の特徴が、60-8小節、62 63において一致する

 

版下用手書き・一部打楽器パ-トペンデイングの指示あり ( 第一楽章31ページ )
最終ページの日付は


と単純である。
出版に際しての校定ポイント
出版や初演に対して版下書きや写譜屋への暫定段階の部分的自筆スコアを渡していたⅢ.楽章練習番号62~八小節前に合いの手モチィフ(応答句)があるⅠ.楽章83小節以後のブリッジの扱いが現行の管弦楽譜と異なる、後述の練習番号63の三連音は不明であるがペータ版の校定報告と全音版および後述の連弾版からは存在すると判断。[A2]1905管弦楽総譜?(2015新情報あり)
仮定と問題点

作曲者が版下やパ-トに目を通す暇があるのか疑問(注)

備考
初期(デュラン社譜面-第1版-)への過程として興味深い
図版

IMSLP

さらに1973ソ連版があり、なんともはやwww・・・・・・・・すごい時代に。Хорошо!

この写真の作曲者の持ってるノートが酷似しているが。
時期といいまさか
(゜-゜)…(; ゚д゚)…(゚д゚ )…(; ゚д゚)

パブリック・ドメインをスキャンするのはいいが、文化財を損傷する可能性が心配だ(^_^;)

 

60-8小節

62

63

連続

3連

    
初期(デュラン社譜面-第1版-)
管弦楽総譜(1905)Durand[E1](1903-5)[A1.EP1-3・T等]
特徴

(注1)譜面の装丁についてはデュラン1997全集版にしつこい詳細が記載されている。 上記[ ]の符号を使い「好きだ」というかたは参照ご覧下さい。

(注2) なお当譜面をなるべくオリジナルに演奏したと思しくある演奏は、ピエール・モントゥーやルイス・ド・フロマン。ブルーノ・マデルナなどの録音などが有る。 

 
 
 

いなせな北斎の版画の波モティーフの表紙(注1)・以後に記する問題の個所が全て存在(平島氏の解説書*での旧版の証言にもとずく)ピアノ連弾譜の個所と一致するはずと考えられる。(下記参照)また他に大きな特徴では、Ⅰ楽章の楽章の練習番号2+5小節目の連続し出す音階はクラリネットのみのオクターヴでその部分でのバゾンの低音補強は無し・以後77~82のTimbパ-トは欠落・83小節以後トレモロのブリッチは(pf連弾譜ト同じ)の付点二分音符の音価で二小節に及ぶなどがある。
出版に際しての校定ポイント
前出版者からの新出版者への契約期限をなんとか守った?(作曲者と出版者の手紙から見ると). 楽譜内容の位置付けの考察と問題点にて。ブルックナ-の原典版のようにあまり返り見られないようで有り音楽報道からも意識もされていなく作曲者も”演奏後”すぐに新版改定を行ったことより下記の演奏事例にもとずく1905版の不備?があったと憶測される。(スコアだけでなくパ-ト譜等) (Durand) [E.1]1905(注2)
仮定と問題点

各特徴的フレーズの状態(Ⅲ.楽章練習番号62~八小節前&63番)後述の連弾版と同様の状態であったと想定される、その後の初演のリアクションと作曲者自身の演奏でのフィードバックが、その後の改訂の継起となったのは十分想定できる。

備考
北斎の表紙は現在ピアノ独奏譜面にある(注1)
図版

件の箇所のある総譜としての正規出版譜面

*日本では再販が誤植扱いされ、批判の対象になったことが、キングレコード時代の、エルネスト・アンセルメのドビュッシー全集の平島氏の解説に記述がある。

60-8小節

62

63

連続

3連

    
初期(デュラン社譜面-第1版-)[TE]
ピアノ連弾譜 (1904-5)一台四手Durand(ド-バ-社4手曲集収録)[TE]
特徴

(音友版・Durand全集版一部掲載) [A1.EP1-3・TA]-第一版(旧)-1905自筆管弦楽総譜

北斎の版画の波の表紙(現在も(ただしド-バ-は曲集の為例外)出版譜で唯一Ⅲ.楽章の練習番号60~八小節前に 合いの手モチィフ(応答句)がある(単音)Ⅰ.楽章83小節以後のブリッジの扱いが現行の管弦楽譜と異なる。(後で全音版にて述べる) また練習番号62での管弦楽でのコルネットは二連三連のリスムのフレーズを連続している、これは現行の管弦楽演奏ではなされていない状態で、通常は二連三連二分音符の伸ばしを二回やり次に連続させるものである、現行管弦楽楽譜では全音版ポケットスコアでのみ連続で見受けられこの版の素性を疑問視させている。
出版に際しての校定ポイント
スケッチからの家庭ピアノで演奏可能なリダクション?。但し作品の完成度はリダクションにとどまらない出来映え。しかし多少の省略なしには難しい箇所がある。
Anja師情報
仮定と問題点

楽譜内容の位置付けの考察と問題点:判断の基準となる小節数やフレ-ズの1905年での原典を知る事が出来るまさしく「海のメ-トル原器」。

備考
後述のキャプレの二台四手編曲とは60-8小節の合いの手や62のフレーズ連続の可否が違う、演奏効果はキャプレの管弦楽から取り入れた方に聞きごたえを感じる。
図版

ド-バ-社4手曲集収録

隣のブーレーズ新盤は比較対象でおいてます

練習番号60~八小節前に合いの手モチィ-フ(応答句)がある(単音)
63番は三連音

60-8小節

62

63

連続

3連

  
-第一版(旧a疑惑付旧)-)
ポケットスコア初版(1906・8再版?)Durand[E1?]
特徴
第一版(旧もしくは旧aのニ形態存在か?(Durand) [E1]の写真製版修正?符号はE1扱い?

 

60-8が演奏用譜面のみ金管が存在となれば?下記ポケットスコア初版・第二稿?(1908-?1938再版)Durandと同一金管のみを削ったのが幻の1906演奏用スコア改訂とも邪推されるが、1906の進捗は言及している資料が皆無。

オイレンブルク・ソビエト1973・全音はこれの版権切り替えで旧版をもとに作られている可能性があり。

全音楽譜では第一楽章の原版の経緯が異なる二つの欠損のうヴァイオリンソロの出現する箇所が、前二社が、全く同じ奇妙な加筆がなされているので。

版下は共有と考察できるが不明、。

 

現在調査中(目撃情報募集) 書き第二稿の状態から、Ⅰ楽章の楽章の練習番号2+5小節目・77~82のTimbパ-ト・83小節以後の扱いは初版と同じであると想定できる。。
出版に際しての校定ポイント
第一版(旧もしくは旧aのニ形態存在か?Durand&Fils) [E1]の写真製版修正?符号はE1扱い?
仮定と問題点

1905年版と銘記しているシルヴェストリの音盤の状況を考慮にいれると既に「練習番号60-8小節の合いの手修正」が始まっていた可能性もあり。「練習番号62での連続」などの特徴などから全音譜面及びデュランの1938年の再版ポケットスコアと同一の可能性がある。デュラン校訂報告では1906と1908は同一とされているが、詳しい検証が必要なのでは。

備考
シルヴェストリの録音での1905版銘記根拠可能性
図版

参考画像

時期的に以下の状態と想定される。

60-8小節

62

63

連続

3連

    
-第一版(新)-
ポケットスコア初版・第二稿?(1908-?1938再版)Durand
特徴
ケットスコア第ニ版?(1938-1964年再版?)真1909年版? Durand)なおデュランこの存在詳細を語らず「1997報告があやしい」

 

*ここで三か所以外、第一楽章の小節数や、ヴァイオリンソロの一部写植欠損や、作曲家のペンディングのまま写植してティンパニートレモロ等

小汚いわら半紙色化した(水色だった?)Ⅰ楽章の楽章の練習番号2+5小節目・77~82のTimbパ-ト・83小節以後の扱いは初版*と同じである。
上野文化会館所蔵確認可能・・・・。
出版に際しての校定ポイント
ともかく全音譜面と酷似(全音参照の事)、
仮定と問題点

上記と同じく1905年版と銘記しているシルヴェストリの音盤の状況を考慮にいれると既に「練習番号60-8小節の合いの手修正」が始まっていた可能性もあり。「練習番号62での連続」などの特徴などから全音譜面及びデュランの1938年の再版ポケットスコアと同一の可能性がある。デュラン校訂報告では1906と1908は同一とされているが、詳しい検証が必要なのでは。

備考
デュラン校訂はあまり注目していない、上記と同一の可能性あり。
図版

参考画像



60-8小節

62

63

連続

3連

 
変動期



(デュラン社譜面編曲版・-第2版-・再版ポケットスコア)  
2台ピアノ(二台4手)(1908-1909)Durand[キャプレ編曲]
特徴

*音盤での判断に留まってた当譜面もようやく近年拝見できこうして追記に至る次第

現在IMSLPにて閲覧できる。

この譜面に別版画なければ、某音盤は連弾譜面とのキメラの可能性ありか?

汚いわら半紙色化した水色? 今はベージュに紺文字?
出版に際しての校定ポイント
とアンドレキャプレによる版(作曲者指示があったと考えられる)。
仮定と問題点

アンドレキャプレによる版(作曲者指示があったと考えられる)。 楽譜内容の位置付けの考察と問題点:演奏(エラ-ト)で聞く限り全音の楽譜もしくはペーター類似個所が多いしかし当音盤の演奏者が削った恐れ有り-判断保留中1909年版と1938年版の過程を示すミッシングリング*なのでは?

最新修正事項あり

備考

仮定:デリケートなことだが1909前なら本来は第二版やポケットスコア1938-64の改訂はこの意図にそっている可能性が考えられる、しかしその後なら1938年の意図に絡んでいるのでは・・・?デュラン校訂ではすでにE2は現行状態との表示?

追記
60-8のファンファーレの前半削除;62断続;63フレーズと見事に中間的位置づけにあることが判明する
図版

最新修正事項


60-8小節の合いの手は前半削除で後半が残存している。

63はフレーズであり1909時点でこの案が発生しており、方針が定まった可能性もあるが、単に編曲者の判断か、不明 だがまさしく予想の右斜め45度なミッシングリング。

「スール」状態な(笑)作曲者と弟子状態のアンドレ・キャプレ(1878-1925)、後に管弦楽のための映像の第一曲「ジーグ」の編曲を作曲者に任され、さら神秘劇「聖セバスチャンの殉教」という大作オーケストレーションも協力依頼されるほどの信頼を受けている。その後晩年の作曲者存命中におもちゃ箱や子供の領分の編曲も手がけ、ほかのドビュッシー作品の管弦楽曲のピアノ編曲に、ピアノ曲の管弦楽編曲もある、また作品はドビュッシーの印象派的書法を踏まえるが、ときに古典的優雅さなもの、又多少アルカイックでエキゾティックな曲も存在する。

60-8小節

62

63

半分無し

断続

フレーズ

 
(デュラン社譜面編曲版・-第2版-・再版ポケットスコア)   
管弦楽総譜(1909年)Durand[E2]
特徴

*件の問題他にはⅠ楽章の楽章の練習番号2+5小節目の連続し出す音階はクラリネットのみのオクターヴがそ低音がバゾンに代わりし・以後77~82のTimbパ-トは欠落・83小節以後トレモロのブリッチは(pf連弾譜ト同じ)の付点4分音符の音価で一小節に縮小などがある。

前の版のイラストは維持、内の表紙の版権に再版?年代の1909とか色々追加*がなされている。 注)譜面の装丁についてはデュラン1997全集版にしつこい詳細が記載されている。 上記[ ]の符号を使い「好きだ」というかたは参照ご覧下さい。
出版に際しての校定ポイント
:上記1908年ドビュッシー自身の演奏での演奏体験が契機となる、作曲者この後さらに、複数の演奏者tの対話で様々な段階によ改定指示を出していた(詳細RES希望)?
仮定と問題点
1997のデュラン校訂報告ではこの時点で、現行(右表)現状になっているとされる、しかしこの1909改訂の実体は?前述のキャプレ編曲および後述する1964年頃までのスコアの状態である、デュラン・全音・ペーター等の管弦楽譜面で見られる練習番号60から八小節前の金管の応答句を削除するが、63のコルネットの三連音フレーズは存在していた状況の出版物が、この前に存在していた可能性もある・・・、しかし後述する1997のデュラン校訂報告表および38年以前のトスカニーニ1935年録音の報告等などの、根拠のもとになったことに反する事例がそれ以外の個所も(上述の練習番号62のフレーズの状態が)加えて存在することもあり、結論は今後その観察次第、さらに流転を繰り返すと思われる。
備考
デュラン新盤調査の最中に発見したデュランの学習用の1938年の了承がつくもの(D&F6838)が全音と同じであり、ファクシミリの1905年のD&F6532と異なる事などからこれを旧版流用の物と考えられる、可能性が強まる。また1980年代に刊行されたドーバー社のスコアの「素」は1909もしくは1938年の版権切れの可能性がつよく、今回のデュラン全集版の校訂報告を考慮するとこの時点の可能性も?
図版

参考画像

デュラン新盤調査の最中に発見したデュランの学習用の1938年の了承がつくもの(D&F6838)が全音と同じであり、ファクシミリの1905年のD&F6532と異なる事などからこれを旧版流用の物と考えられる、可能性が強まる。また1980年代に刊行されたドーバー社のスコアの「素」は1909もしくは1938年の版権切れの可能性もあるが?今回のデュラン全集版の校訂報告を考慮するとこの時点での現状確立可能性も?  

60-8小節

62

63

無し

断続

フレーズ?

    
(デュラン社譜面-第2版-)
管弦楽総譜(1938年)Durand[E2]
特徴

一見するとポケットスコアと自筆原稿の比較に留まったとことのある、エディショナルペーターのデュラン社批に答えるべく、スランスデュラン社がフランスの威信にかけてと自負して、その校訂に際して、スケッチ・演奏者への書きこみ等の膨大な資料を揃え校訂完成した、デュラン社の全集版1997での大きな穴として、「ポケットスコア」の内容の言及の浅い所にあり、公に演奏及び版の混乱整理できない原因を生み出しているようでもある。

前回の版権変再版・表紙が単純に?
(詳細不祥)デュランの校訂報告からすると言及がなく1938年自体の意味合いが無くなってくる。
出版に際しての校定ポイント
これまでのデュランの全集版校訂報告を真に受ければ前回改訂の再版という事になる。 件の問題他にはⅠ楽章の楽章の練習番号2+5小節目の連続し出す音階はクラリネットのみのオクターヴがそ低音がバゾンに代わりし・以後77~82のTimbパ-トは補足修正・83小節以後トレモロのブリッチは(pf連弾譜ト同じ)の付点4分音符の音価で一小節に縮小などがある。

しかしこの時期の学習用縮小のポケットスコアの状態が初版とも当譜面とも異なり、むしろの後の1971年代に現れるポケットスコアと自筆譜面を参考に実質改訂な校訂を行ったエディショナル・ペータ社の様相と酷似している事などを考えると、「ポケットスコアの中間状態」改訂がいつ誰によってなされてそれに反映されたのか、さらなる検証が必要なのかもしれない、

仮定と問題点

1997のデュラン校訂報告ではこの時点で、現行(表)現状になっているとされる。

しかしこの1909改訂の実体は?前述のキャプレ編曲および後述する1964年頃までのスコアの状態である、デュラン・全音・ペーター等の管弦楽譜面で見られる練習番号60から八小節前の金管の応答句を削除するが、63のコルネットの三連音フレーズは存在していた状況の出版物が、この前に存在していた可能性もある・・・

、しかし後述する1997のデュラン校訂報告表および38年以前のトスカニーニ1935年録音の報告等などの、根拠のもとになったことに反する事例がそれ以外の個所も(上述の練習番号62のフレーズの状態が)加えて存在することもあり、結論は今後その観察次第、さらに流転を繰り返すと思われる。この年号自体ポケッとスコアの再版か新校訂譜面の作成時期の承認の可能性が強くなってくる。

備考
版権変えのための再販のとすれば話は単純なのだが・・・・両者の中間的存在のポケットスコアの状態が、管弦楽用出版総譜元のデュラン社より出ていた*ことを考慮すると要調査な事例が存在するのでは。
図版

参考画像

  #現状はデュラン校訂報告のP231以後の記述に準拠

60-8小節

62

63

断続

フレーズ#

 
(デュラン社譜面編曲版・-第2版-・再版ポケットスコア)   
管弦楽総譜(1909年)Durand[E2]
特徴

*件の問題他にはⅠ楽章の楽章の練習番号2+5小節目の連続し出す音階はクラリネットのみのオクターヴがそ低音がバゾンに代わりし・以後77~82のTimbパ-トは欠落・83小節以後トレモロのブリッチは(pf連弾譜ト同じ)の付点4分音符の音価で一小節に縮小などがある。

前の版のイラストは維持、内の表紙の版権に再版?年代の1909とか色々追加*がなされている。 注)譜面の装丁についてはデュラン1997全集版にしつこい詳細が記載されている。 上記[ ]の符号を使い「好きだ」というかたは参照ご覧下さい。
出版に際しての校定ポイント
:上記1908年ドビュッシー自身の演奏での演奏体験が契機となる、作曲者この後さらに、複数の演奏者tの対話で様々な段階によ改定指示を出していた(詳細RES希望)?
仮定と問題点
1997のデュラン校訂報告ではこの時点で、現行(右表)現状になっているとされる、しかしこの1909改訂の実体は?前述のキャプレ編曲および後述する1964年頃までのスコアの状態である、デュラン・全音・ペーター等の管弦楽譜面で見られる練習番号60から八小節前の金管の応答句を削除するが、63のコルネットの三連音フレーズは存在していた状況の出版物が、この前に存在していた可能性もある・・・、しかし後述する1997のデュラン校訂報告表および38年以前のトスカニーニ1935年録音の報告等などの、根拠のもとになったことに反する事例がそれ以外の個所も(上述の練習番号62のフレーズの状態が)加えて存在することもあり、結論は今後その観察次第、さらに流転を繰り返すと思われる。
備考
デュラン新盤調査の最中に発見したデュランの学習用の1938年の了承がつくもの(D&F6838)が全音と同じであり、ファクシミリの1905年のD&F6532と異なる事などからこれを旧版流用の物と考えられる、可能性が強まる。また1980年代に刊行されたドーバー社のスコアの「素」は1909もしくは1938年の版権切れの可能性がつよく、今回のデュラン全集版の校訂報告を考慮するとこの時点の可能性も?
図版

参考画像

デュラン新盤調査の最中に発見したデュランの学習用の1938年の了承がつくもの(D&F6838)が全音と同じであり、ファクシミリの1905年のD&F6532と異なる事などからこれを旧版流用の物と考えられる、可能性が強まる。また1980年代に刊行されたドーバー社のスコアの「素」は1909もしくは1938年の版権切れの可能性もあるが?今回のデュラン全集版の校訂報告を考慮するとこの時点での現状確立可能性も?  

60-8小節

62

63

無し

断続

フレーズ?

    
(デュラン社譜面-第2版-・再版ポケットスコア)
ポケットスコア初版・第三稿?(1938-1975?)Durand
特徴

ちなみにこれの忠実な再現例と思しくある演奏にジョージ・セル指揮するクリヴランド管弦楽団の演奏がある。

前回の版権変再版・表紙が単純に?
(詳細不祥)デュランの校訂報告からすると言及がなく1938年自体の意味合いが無くなってくる。
出版に際しての校定ポイント
ともかく出版管弦楽総譜として直されたところの一部が昔に戻りながら(63問題)。方や現行と同じ状況のある不可解な校訂である。後述するマックス・ポマーの校訂譜面は、これとドビュッシーの自筆に準拠して、デュランの現行譜面ト違う整理された版を作ってたのでは?このことは先に述べたポケットスコアの原版と管弦楽総譜の原版が、おのおの別のプロセスで変遷していることを顕著に示す根拠にもなる。これも件の問題他にはⅠ楽章の楽章の練習番号2+5小節目の連続し出す音階はクラリネットのみのオクターヴがそ低音がバゾンに代わりし・以後77~82のTimbパ-トは欠落・83小節以後トレモロのブリッチは(pf連弾譜ト同じ)の付点4分音符の音価で一小節に縮小などがある。

仮定と問題点

おそらく戦後の多くの音楽に従事するものが当曲を学習する際にこれを使用したゆえに、管弦楽譜面の差違を単なる誤植として問題視してココからの要素を追加していったか?もしくはそのまま直した故に、演奏上の混乱は著名な問題と絡んで大きくなってしまったのでは?またこの改訂状況は1909のデュランの2台ピアノのキャプレ編曲に酷似しているところからも、はたして管弦楽出版総譜が二態だけだったのか謎なところである。

備考
デュラン校訂はあまり注目していないが?
図版

参考画像

謝辞;情報提供梅沢氏に感謝いたします 実際初版の特徴が一つ減っている事が確認でき尚且つ63問題にては。
全音やオイレンブルグの出版の元になっていると、考察できる。

60-8小節

62

63

断続

三連

 
(デュラン社譜面編曲版・-第2版-・再版ポケットスコア)   
ポケットスコア現行(1975?以後)Durand
特徴

*作曲者がアタッカを指定してると思えず・・・・総譜の複写製版での凡ミスか?もしくは重版時の印刷ミスレベルの内容

水色
出版に際しての校定ポイント
上記管弦楽総譜(1909年*か1938)Durand[E2]の内容が反映される、しか写植ミス(*)に由来するのか?近年の再版でに第1楽章の終止線が欠損している。それゆえ同時期の内容の版を使用したドーバーの方がまともと言う珍妙な事態が続いた。 なおそれを含める譜面での諸々の誤植修正は、1997の全集版に持ち越される。
仮定と問題点
管弦楽総譜(1909年*か1938)[E2]同じ
備考

多くの演奏がこれに準拠して演奏され

ポケットスコアで評論鑑賞されている事が問題

も?
図版

画像なし

参考画像

デュラン新盤調査の最中に発見したデュランの学習用の1938年の了承がつくもの(D&F6838)が全音と同じであり、ファクシミリの1905年のD&F6532と異なる事などからこれを旧版流用の物と考えられる、可能性が強まる。また1980年代に刊行されたドーバー社のスコアの「素」は1909もしくは1938年の版権切れの可能性もあるが?今回のデュラン全集版の校訂報告を考慮するとこの時点での現状確立可能性も?  

60-8小節

62

63

無し

断続

フレーズ?


実際初版の特徴が一つ減っている事が確認でき尚且つ全音やオイレンブルグの出版の元になっていると、考察できる。

 
安定期と批判


威信をかけたデュラン全集盤校訂
最新スコア現行(1997以後)Durand(コスタラ)
特徴

恐らく決定版ですが、いちど、みのもんた氏に、アノ目つきで「デュランさん・・・・ファイナルアンサー?!」と言ってもらいたい。

紺のツートン・値段が高い・重い
出版に際しての校定ポイント

上記管弦楽総譜(1909年*か1938)Durand[E2]の内容が反映される、写植ミスも正誤表つきで徹底して直され、作品の校訂改訂経緯まで見た目は詳細にあり、現行の状態の問題自体誤植なのではと言う疑いを晴らすもの。

仮定と問題点

管弦楽総譜(1909年*か1938)[E2]同じ問題はここにおいて校訂報告のポケットスコアの言及少ないことであり、ポケットスコアの中間的状況がまずかったのを隠蔽したい可能性も?(^^”””)

備考
当初ピエール・ブーレーズが校訂する巷噂が流れたが、資料提供に留まった。 また某評論でいわれる、当譜面を使用したとされるブーレーズ氏の新録音と近年の演奏だが、事実無根の間違いと指摘したい。諸問題の個所はむしろポケットスコア第3稿やペーターのそれと同じである。

 またブーレーズ氏は70年代からその状況をづつけており初回録音では現行に初版の欠損や間合いを生かすことを行っており、つねにデュラン譜面に対する、批判的意見をもっていたようである。
図版

画像予定


情報提供s氏に感謝いたします

60-8小節

62

63

断続

フレーズ