六国峠の海の家:海-Xファイルへのエスキ-ス(12型甲改)
@前書き
ドビュッシーの表題付きの管弦楽曲の中でも「牧神の午後への前奏曲」と並ぶ最も有名な存在ですが、ドビュッシーの作風様式の転換点であり、作曲家活動の再出発点ともなった記念すべき作品が三つの交響的エスキース(素描)「海」と言えるでしょう。
 そこには、それ以前の作品のような軽やかな色彩感に加えて、力強い音楽表現での曲がフランス近代の管弦楽曲としての評価以外に広く国外にの交響的レパートリーとしてみとめさせる魅力を満載して世界中の愛好家・演奏家を魅了しています。

 しかし一方で、ドビュッシーの管弦楽曲中でも最も複雑な出版譜面の版問題と演奏上の慣用による改竄の問題を抱えており、その作曲家の考えうる全体像についてはいまだに完全には明らかになっていません。 また当曲の演奏に当っての評論もそれらに起因する差違を無視した上での演奏家への評価、評論がなされているのが実情でもあり鑑賞のうえでの混乱を生じさせている現状でもあります。
 そうした当曲の数々の出版楽譜毎に,記述が異なっている個所が散見される、出版譜の相違と変遷への経緯と考察(憶測混じり)を整理・発表させて頂きます、 楽譜購買の参考ならびにご存知の方々の当作品のあまり注目されてない版の違いによる、CD鑑賞のお供と語り合いの対象となっていただけたら幸いです。

 以上熊蔵

@代表的事案
 ドビュッシーの海が、演奏と多くのスコアが整合性のない相違があることは広く漠然と知られるところである。その大半が言及するところは、以下に示す所が大半をしめると言っても過言ではない。

  1「風と海の対話における金管の合いの手の有無」(練習番号60-8小節)
  2「風と海の対話ゴーダおける金管の3連音」(練習番号63番)
  3 連続されるフレーズ(練習番号62番)

 また副次的にに提示される以下の点なども言及されるが、ここでは主に上記三点において論述するものとする 。

  1「海の夜明けから真昼まで」のブリッジにおける打楽器パートの欠損
  2「海の夜明けから真昼まで」のブリッジの最終部分の小節数

 
1「風と海の対話における金管の合いの手の有無」(練習番号60-8小節)
先ず一般に知られている事例としては,「第三楽章の風と海の対話」の終わりの近く(練習番号60-8小節)の弦楽と木管の主旋律とトレモロででオプリガードを奏でる上に重なる、金管群による合いの手の有無が挙げられる。(下記参照)
合いの手の無


(GSフォーマッド)
現行の市販管弦楽総譜にこの箇所に相違がなく、今日の大半の演奏がこの状態である。
それに反して幾つかの演奏に存在するのが以下の事例であり、単純に聞き分けられるポイントとして広く認知されている。
合いの手の有


これは,比較的早い時期に管弦楽スコア出版後、ドビュッシーが自身により削除したパートである。

この合いの手は現在の市販管弦楽には存在していないが、ドビュッシー自身が管弦楽版と同時期に作った、ピアノ連弾版(1904-5)においては存在しており、その譜面は今でも市販されている。




記譜面の状況に関わらず、一部の事例を除いては、その初期出版譜面綜譜及びそれに準ずる資料、当該個所のパート譜面を所持する演奏家もしくは、それらを聴いている演奏家による個人的判断おいての現行譜面に加えられた導入が大半を占めるものである。)

合いの手 指揮者
録音年 楽団

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
アンゲルブシュト(レック)

 

1950 シャンゼリゼOch 1
1962 O・R・T・F(ライブ) 1
インバル 1969 ACO 1
オ-マンディ-

 

1960 フィラデルフィアOch(旧) 1
1971 フィラデルフィアOch(新) 1
カサドシュ 1994 リル 1
カンテルリ 1955 フィルハ-モニ 1
サロネン 1997 ロサンゼルスフィル 1
シノポリ 1990 フィルハ-モニ 1
ジュリ-ニ

 

 
1963 フィルハ-モニ(初) 1
1980 ロス(旧) 1
1994 ACO(新) 1
シルベストリ 1959 パリ音楽院管弦楽団 1
スヴェトラノフ 1993 ロシア国立SO 1
セル 1963 クリヴランド 1
ツェンダ- 1974 ザ-ルブリュッケンRso 1
トゥ-リエ 1992 アルスタ-Och 1
トスカニ-ニ 1950 NBC/SO 1
バルビロリ 1970 PARI・O 1
パレ- 1955 デトロイト・SO 1
バレンボイム 1978 PARI・O 1
バ-ンスタイン

 

1961 NYP 1
1989 STチェチィリアOch 1
プラッソン 1988 トゥルズ・O 1
フルネ 1963 チェコフィル 1
ブ-レ-ズ

 

 
1966 NEWフィルハ-モニ 1
1971 ナショナルユース 1
1993 クリヴランド 1
プレピン 1984 ロンドン交響楽団 1
ベイヌム 1957 ACO 1
ボ-ド 1984 ロンドンフィル 1
ポマー 1988 ライブツィヒRS 1
マズア 1997 ニューヨークフィル 1
マゼ-ル

 

1979 クリヴランド 1
1999 VPO 1
マルゲビッチ 1959 コンセルラムルー 1
マルティノン 1974 O・R・T・F 1
ミュンシュ

 

1962 O・R・T・F(ライブ) 1
1968 O・R・T・F 1
ム-ティ- 1993 フィラデルフィアOch 1
ラババリ 1989 BRTPOB 1
有り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

J・サイモン 1991 フィルハ-モニ 1
アシュケナージ 1986 クリヴランド 1
アンセルメ

 

 
1957 SRO 1
1964

 

NHK交響楽団(ライブ) 1
SRO 1
カラヤン

 

1964 ベルリンフィル(DG初回) 1
1985 ベルリンフィル(DG最終) 1
ジョルダン 1990 スイスロマンド管弦楽団 1
ショルティ- 1990 SCO 1
ストコフスキ- 1970 LSO 1
スラットキン 1982 セントルイスSO 1
チェリビダッケ 1980 シュッツッガルト 1
デ-ビス 1980 BOS 1
デュトワ 1989 モントリオ-ルSo 1
ハイティンク 1977 ACO 1
フロマン 1975 ルクセンブルク 1
ミュンシュ

 

1956 BOS 1
1962 BOS(ライブ) 1
モントゥー 1954 ボストン交響楽団 1
ヤルヴィ 1992 デトロイト・SO 1
ライナ- 1959 シカゴ 1
ラインズドルフ 1957 ロサンゼルスフィル 1
総計       63

しかしながらこのパートについて、伝えられるところでは、ドビュッシーは様々な周辺者と意見を交わしており、多少の迷いをもって「それ」に対する是非は論じられていたらしく、ドビュッシーの近親者の中に接していた時期により、その「導入をする者」と「しない者」がおり、それらの前者の立場は他のパートの問題と絡めて見上で考察すると、単なる個人的な判断と言うよりは、ドビュッシーとの意見交換の上での判断で結論に従った可能性もある事を喚起すべき事例である。もしかすると、それらの直伝とされる一部の演奏家達のクリティカルではない譜面の扱いは、演奏家の改竄としてでなく、ドビュッシーの創作過程での何らかの時点での「言いつけ」を守った可能性を考察できる。それゆえに、その鑑賞評論に当っては演奏家の素性、譜面対応、演奏会及び録音セッションの譜面調達状況についての多少の注意が必要かもしれない。

上記当該の演奏家としてピエールモントゥ(1875-1964) エルネスト・アンセルメ(1881-1968)等(*)があげられるが、後に述べる他の部分での差違については全く異なる立場をとっており、この辺における相違も加え、作曲者を親交のある人物である事を考慮すると、その演奏から作品に対する創作過程に絡んだ見解による,「追加修正」として、一般の「追加」とは一線を違えた例外事例で位置付けが必要である。

それは、むしろその演奏の問題を考察する事により、作曲者の演奏家の交流を通じてなされた、創作理念の変遷を読み取れる資料的価値の一面においての重要性持ち合わせているからであり、そうした演奏を聞いて彼らの意見がどのように作曲家に反映し、作曲家の意見が周辺の演奏家にいかにして、成否をふくめて受容されたを考察、批評すべきである。

 


「風と海の対話ゴーダおける金管の3連音」(練習番号63番)
次に挙げる練習番号63番の問題は、今日の音盤や演奏との国内外の、学習譜面と実用譜面の整合性を考えると、60番-8小節の金管の合いの手より実際にはその認知の度合いの浅さが、深刻な問題を抱える可能性が高い。

 当該部分は、当曲の第三楽章「風と海の対話」のゴーダ部分にあたる、練習番号63番においてのコルネットパートがトロンボーンと同じく前打点のリズムのフレーズをそのオクターヴ上で演奏される場合と、ティンパニーの刻みに合われた循環主題の省略形の三連音符のフレーズ演奏する場合の演奏が存在する事である。
1:トロンボーンと同じく前打点のリズムのフレーズ)





2:循環主題の省略形の三連音符のフレーズ





大半は前者だが後者の代表として、古くはセル/クリヴランドにミュンシュ/ボストンSO、そしてマデルナ/ハーグなどの音盤、新しいところではイン
バル/ACOにブレーズ/クリヴランド、さらにコリン・ディビス/ボストンSOにサロネン/ロスフィルなどがある。さらに全体像は表を参照されたい。
3連音 指揮者 録音年 楽団

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

J・サイモン 1991 フィルハ-モニ 1
アシュケナージ 1986 クリヴランド 1
アンゲルブシュト(レック)

 

1950 シャンゼリゼOch 1
1962 O・R・T・F(ライブ) 1
アンセルメ

 

 
1957 SRO 1
1964 NHK交響楽団(ライブ) 1
  SRO 1
オ-マンディ-

 

1960 フィラデルフィアOch(旧) 1
1971 フィラデルフィアOch(新) 1
カサドシュ 1994 リル 1
カラヤン

 

1964 ベルリンフィル(DG初回) 1
1985 ベルリンフィル(DG最終) 1
カンテルリ 1955 フィルハ-モニ 1
シノポリ 1990 フィルハ-モニ 1
ジュリ-ニ

 

 
1963 フィルハ-モニ(初) 1
1980 ロス(旧) 1
1994 ACO(新) 1
ジョルダン 1990 スイスロマンド管弦楽団 1
ショルティ- 1990 SCO 1
ストコフスキ- 1970 LSO 1
スラットキン 1982 セントルイスSO 1
チェリビダッケ 1980 シュッツッガルト 1
ツェンダ- 1974 ザ-ルブリュッケンRso 1
デュトワ 1989 モントリオ-ルSo 1
トスカニ-ニ 1950 NBC/SO 1
ハイティンク 1977 ACO 1
バルビロリ 1970 PARI・O 1
パレ- 1955 デトロイト・SO 1
バレンボイム 1978 PARI・O 1
バ-ンスタイン

 

1961 NYP 1
1989 STチェチィリアOch 1
プラッソン 1988 トゥルズ・O 1
フルネ 1963 チェコフィル 1
ブ-レ-ズ 1966 NEWフィルハ-モニ 1
プレピン 1984 ロンドン交響楽団 1
ベイヌム 1957 ACO 1
ボ-ド 1984 ロンドンフィル 1
マズア 1997 ニューヨークフィル 1
マゼ-ル

 

1979 クリヴランド 1
1999 VPO 1
マルゲビッチ 1959 コンセルラムルー 1
マルティノン 1974 O・R・T・F 1
ミュンシュ

 

1962 O・R・T・F(ライブ) 1
1968 O・R・T・F 1
ム-ティ- 1993 フィラデルフィアOch 1
ヤルヴィ 1992 デトロイト・SO 1
ラインズドルフ 1957 ロサンゼルスフィル 1
ラババリ 1989 BRTPOB 1
有り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
インバル 1969 ACO 1
サロネン 1997 ロサンゼルスフィル 1
シルベストリ 1959 パリ音楽院管弦楽団 1
スヴェトラノフ 1993 ロシア国立SO 1
セル 1963 クリヴランド 1
デ-ビス 1980 BOS 1
トゥ-リエ 1992 アルスタ-Och 1
ブ-レ-ズ

 

1971 ナショナルユース 1
1993 クリヴランド 1
フロマン 1975 ルクセンブルク 1
ポマー 1988 ライブツィヒRS 1
ミュンシュ

 

1956 BOS 1
1962 BOS(ライブ) 1
モントゥー 1954 ボストン交響楽団 1
ライナ- 1959 シカゴ 1
総計       63
そして当個所においてモントゥーとアンセルメの「原典主義」の違いが判るのは当該の有無のであることも注意をうながしたい。 当個所はドビュッシーの前述の連弾譜面には存在しており、明らかに現行に至るいずれかの段階で削除変更をされたものであるのは明らかであり、 後の練習尊号62の問題を合わせて考慮すると多くの現行譜面にそれる演奏が単なる版の問題だけではないことを示すものである。
連弾



当該個所は前述の60番-8小節の問題が初版楽譜との相違として、それを現行に指揮者が判断で追加している状況として評論・聴衆の間では認知されているに対して、あまりに「聞え方」の「違い」に関わらず言及するケースはごく僅かであり、
一部の評論なかには指揮者の譜面選択言及で勘違いして言及されたり、全く譜面の相違として認知していない場合が多く、まさに「深刻な問題」という所似がここにある。実は周知とされているドビュッシーの「海」の譜面の相違が、60番-8小節の問題だけではない事を如実に知りうる相違なのだからである。これは実際にそれらの中間に値する譜面が存在する事が疎かにされている事実を、如実に示唆している。

3 上記二つの問題で演奏家を区分すると以下の通りである

合いの手 三連音 指揮者 録音年 楽団

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンゲルブシュト(レック)

 

1950 シャンゼリゼOch 1
1962 O・R・T・F(ライブ) 1
オ-マンディ-

 

1960 フィラデルフィアOch(旧) 1
1971 フィラデルフィアOch(新) 1
カサドシュ 1994 リル 1
カンテルリ 1955 フィルハ-モニ 1
シノポリ 1990 フィルハ-モニ 1
ジュリ-ニ

 

 
1963 フィルハ-モニ(初) 1
1980 ロス(旧) 1
1994 ACO(新) 1
ツェンダ- 1974 ザ-ルブリュッケンRso 1
トスカニ-ニ 1950 NBC/SO 1
バルビロリ 1970 PARI・O 1
パレ- 1955 デトロイト・SO 1
バレンボイム 1978 PARI・O 1
バ-ンスタイン

 

1961 NYP 1
1989 STチェチィリアOch 1
プラッソン 1988 トゥルズ・O 1
フルネ 1963 チェコフィル 1
ブ-レ-ズ 1966 NEWフィルハ-モニ 1
プレピン 1984 ロンドン交響楽団 1
ベイヌム 1957 ACO 1
ボ-ド 1984 ロンドンフィル 1
マズア 1997 ニューヨークフィル 1
マゼ-ル

 

1979 クリヴランド 1
1999 VPO 1
マルゲビッチ 1959 コンセルラムルー 1
マルティノン 1974 O・R・T・F 1
ミュンシュ

 

1962 O・R・T・F(ライブ) 1
1968 O・R・T・F 1
ム-ティ- 1993 フィラデルフィアOch 1
ラババリ 1989 BRTPOB 1
有り

 

 

 

 

 

 

 

 
インバル 1969 ACO 1
サロネン 1997 ロサンゼルスフィル 1
シルベストリ 1959 パリ音楽院管弦楽団 1
スヴェトラノフ 1993 ロシア国立SO 1
セル 1963 クリヴランド 1
トゥ-リエ 1992 アルスタ-Och 1
ブ-レ-ズ

 

1971 ナショナルユース 1
1993 クリヴランド 1
ポマー 1988 ライブツィヒRS 1
有り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

J・サイモン 1991 フィルハ-モニ 1
アシュケナージ 1986 クリヴランド 1
アンセルメ

 

 
1957 SRO 1
1964

 

NHK交響楽団(ライブ) 1
SRO 1
カラヤン

 

1964 ベルリンフィル(DG初回) 1
1985 ベルリンフィル(DG最終) 1
ジョルダン 1990 スイスロマンド管弦楽団 1
ショルティ- 1990 SCO 1
ストコフスキ- 1970 LSO 1
スラットキン 1982 セントルイスSO 1
チェリビダッケ 1980 シュッツッガルト 1
デュトワ 1989 モントリオ-ルSo 1
ハイティンク 1977 ACO 1
ヤルヴィ 1992 デトロイト・SO 1
ラインズドルフ 1957 ロサンゼルスフィル 1
有り

 

 

 

 

 

デ-ビス 1980 BOS 1
フロマン 1975 ルクセンブルク 1
ミュンシュ

 

1956 BOS 1
1962 BOS(ライブ) 1
モントゥー 1954 ボストン交響楽団 1
ライナ- 1959 シカゴ 1
総計         63

 また興味深いのは、録音ごとに使用譜面が違うブーレーズとミュンシュの演奏である。 後者のミュンシュはボストンからフランスへ戻ったときに、現行譜面を採用している点で、同年のボストンとフランス国立のライヴで立場を違える有様である、これは単純に譜面調達の問題の可能性が強いが、もう一つの可能性としてはドビュッシー直伝のアンゲルブレシュトあたりの頑なな版の伝統が背後に合るのかもしれない。

 そして前者のブーレーズは最初の録音では63問題において現行の3連音を採用しない立場をとっていたが、その再録音においては3連音を採用している、そして少なくともそれは、BBCのライヴ盤で判る限りは1970年代に始まっていて、それは丁度エディショナル・ペーターのポケットスコアでの、マックス・ポマーの行った旧版のクリティカルな校訂譜面の出現と時期を同じくしていることである。

 ブーレーズはデュランの最終校訂譜面での、ドビュッシーがトスカニーニやアンゲルブレシュトあたりの助言(とくに前者は評伝に記述あり)を受け入れ、創作の当初の構造プランのを修正したことに、問題を感じていた可能性があり、もしかするとポマーが自筆譜面にまで立ちかえって、現行の一つ前の状態を支持して校訂した譜面を知って、それが契機になり、3連音導入若しくは当譜面の採用したのかもしれない。

 事実関係は今だ不明ながらも、非常にブレーズの2番目・3番目の録音は、一般に憶測で語られている、最新の「3連音はない」デュランの全集(1997)より、「3連音に言及している」その校訂報告か、現行の一つ前の譜面若しくは、ポマー校訂譜面に酷似していることは確かである。

 少なくとも1997の全集版(ブーレースが資料を提供したにとどまったらしい)以前の1970年代にすでにこの形態がなされていることを考えると、エディショナル・ペーターのポマー校訂か、独自の調査により創作上の作品の本質を考察した独自の結論結果そうなったのは確かであり、3連音導入派のブ-レーズならびに、同じ立場を踏襲したバレンボィムのシカゴでの再録音の演奏譜面が「3連音はない」某雑誌評論での、デュランの全集版(1997年)が使用譜面というのは勘違い甚だしいもかもしれない。

またポマーはライヴツィヒでレーザーライト社に録音しており、自らの校訂譜面を音にしている、一般には「校訂者と知らない」見識の浅いような一部の音楽ライターから「安レーベルのレパートリーの穴埋めような気の抜けた」と酷評をうけてあまり話題にならないが、上記点を踏まえると実は旧譜面の「意義ある利点」と言える、「開かれた形式」による、フレーズ発展統合の線を重視した、曲の根底にある楽曲の発想の「限定なき存在」を淡々と克明に描いた点での,当演奏の評価を望みたいものである。


3 連続されるフレーズ(練習番号62番)
両者の問題に加え、さらに極一部の演奏では更なる相違がある事も指摘もされている、それは第三楽章「風と海の対話」のゴーダ部分導入にあたる、練習番号62番においてのトランペットパートの入りがあり、多くの演奏が、最初に短縮フレーズそして一端白ダマの引き伸ばしの準備を繰り返して、後にフレーズ連続になり次の部分へ推移するのに対して、最初から連続することがある演奏が存在する。

一般
.

 
連続


その演奏はモントゥー/ボストンSOやフロマンル/クセンブルクさらにマデルナ/ハーグといった金管の合いの手が存在するものが多い、さらにドビュッシーの管弦楽版と同時期に起こされた連弾版の「海」の当該部分も連続から始まるものであり、後のキャプレが1908ごろに編曲しているとされている音盤では断続になっている。さらに音盤上一度明確な「1905版」と表記がなされていたEMIのシルヴェストリ/パリ音楽院管弦楽団の演奏では合いの手が存在しないのに関わらず、当該個所は連続のタイプになっている。

(さらに譜面においては国内では比較的古い全音出版学習譜面(1963)の当該個所も連続であり、さらに本家も後述の最終決定の元の出た1938年頃のポケットスコアはまだ連続である)

ピアノ連弾 




このように譜面に基づく相違の言及を極力避けても多くの演奏にその部分においての差違が求められるのがこの曲の現状であり、あきらかに曲の印象が変わるぐらいの状況を、なんの区別もなく扱って評論と鑑賞に混乱を生じさせているかのようであり、その点は優秀な演奏なら「その本質からは瑣末的な問題」と一括されかねない事例とは言い難し問題(無論例外は存在する)と言え、大きな片手落ちのままこの曲の受容がなされてきたことは、その評論に致命的な要素を与えかねない規模の問題かもしれない。

このほかに目立つものに、第一楽章「海の夜明けから真昼まで」の後半へのブリッチの打楽器パートの初版での欠損や小節数などの問題もあるが、次の章にて追って言及してみたい。

 


3まとめと新たなる謎
最後に、ここで指摘した問題を作曲当初のピアノ連弾譜面から62問題を鍵にして。指揮者の追加を除外し手持ちの譜面の状況に照らし合わせたものを条件に表にすると・・・・・・今までに出現した譜面の状況は、以下のように区分推測されるが・・・・このあとデュランの最新校訂報告にて新たなる衝撃が我々を襲う。

纏め
演奏形態 60-8問題 62問題 63問題
ピアノ連弾 合いの手あり 連続 3連
管弦楽Ⅰ/Ⅰa(第一旧/旧a) 合いの手あり(Ⅰaなし) 連続 3連
管弦楽Ⅱ(第一新) なし 断続 3連
管弦楽Ⅲ(第二) なし 断続 フレーズ
管弦楽Ⅰ(疑似) 合いの手あり 断続 フレーズ
管弦楽Ⅰ(疑似改) 合いの手あり 断続 3連

注)ここでは敢えてピアノ連弾譜面から、「素」でその推移変遷を考察すると、合いの手もしくは「ファンファンーレ」は比較的早い時期になくなり、次に62が改訂され最後に3連音が直され風通し善くなったが幾分動きが重たくなったようである。
そして区分の観点は、あくまでも合いの有無ではなく、3連音の状態でさだめるほうが、現況の問題を明確に出来ると考察し、「63番問題」の「3連音」の有無にて、版の第一と第二を定め、途中経過の多い第一の出版譜面に存在する推移は、その60-8と62を判断点にすることにより、その「第一」を幾つかの状態に区分するのが望ましいと感じる。

その相違を「第一旧」の下位属性として、当状態のものを小文字「a」の状態の扱いを定め区分して、初版において二つの状態の存在を示唆した。

たしかに 60番-8小節の合いの手(ファンファーレ)の削除は、62問題のフレーズが「連続」なことを考慮すると、1938年時のデュランのポケットスコアならびに、1963年全音のそれにその多くに初版譜面に合致した点で、最初のポケットスコア版下にて、その削除が始まった可能性が考えられる。

合致した事例に、LP時代「1905年版」と銘記のあるシルヴェストリの音盤(ストロング小林少年氏報告)の録音においても、ほぼ「上記譜面に合致する特徴」を持ち、「合いの手」が削除された状態も考えると、デュラン最新版の校訂報告に言及されている、演奏用譜面に版下としては次回の1909に持ち越され、反映されなかった最初期改訂がポケットスコアに先行して世の中に出まわっていた可能性がある。

それゆえにカラヤンに代表される追従者の多い、アンセルメの行った最後に60-8だけつけるという状況*は、特異なものであり、極めてドビュッシーとパーソナルな対話をしていたときの書き止めか?コメント書込みスコアか?何かが元となっている可能性が強い。
 *以後これを管弦楽Ⅰ(疑似)もしくはアンセルメタイプと呼称して扱う

 

恐らく第一版[ 新])あたりでのころの最終校訂構想(トスカニーニにより完成する)が、そこで語られていたことも想像されるものである。その点ではアンゲルブレシュト及び、トスカニーニらの本家と、相対する立場としての価値が認められるが結果として「正しい」というと判断を保留せざるえない。

 

いずれにしてもアンセルメの演奏を聞くときはそれを念頭に思い浮かべて拝聴するこを、ここをご覧の皆様には切望したい。

さらに60-8と62において、現行及び現存譜面に合致することはない、ミュンシュ/ボストンSOに代表される「演奏状況」は、同時期の同じ様相になっているライナー使用譜面などと照らし合わせると63問題において第一旧から第一新もしくはそれの逆の混在があり、何かしらの現場サイドの変更が想像される。

近年はその状態ではコリンデービス指揮するボストン交響楽団の録音があり、おそらくボストンの持譜面がその状態にあり、デービスの持ち譜面の可能性を除けば、いまだにボストンには、その状態の譜面が存在しているのかもしれない。因みにこれもデュラン最新校訂の資料とし念頭に置かれていたらしく、当時の音楽監督である小澤氏への謝辞が記載されているのは、成り行きから、アメリカでの「海の譜面の状況」の調査絡みなのかもしれない。(アメリカの楽団の演奏譜面の様相はいずれまとめてみたい)
*以後これを管弦楽Ⅰ(疑似改)と呼称して扱う

 

それでは新たなる謎におびえつつ・・・
       

関連音盤/音源/譜面(Amazon.co.jp による)
LN60-8小節 &LN63
ファンファーレ的合いの手が無い

管弦楽Ⅲ(第二)大半の演奏が現行譜面の状態に追従。



60-8問題 62問題 63問題
断続 フレーズ

多少構築的だったり、重厚にして交響的な演奏が大半を占める気がする。
ジュリーニやバレンボエムの方向性其々な後期ロマン主義的演奏に、マルティノンの永遠のスタンダート、そして実は初版のある個所は従い、現行に一部批判のあり、再録音での転身が頷けるブーレーズに、現代フランスの典型のプラッソンそして。改訂に絡んでる疑いある、トスカニーニの明晰と名演奏揃いでもある。

     



管弦楽Ⅱ(第一新)

上記状態に63の三連音のみ復元もしくはデュラン市販譜面の現行一つ前の状態にしている、多少、作曲当初のポリリズム的要素が加わり、スコアの錯綜する表現への野心的な細部のこだわりがある演奏が多い気が?
60-8問題 62問題 63問題
断続 三連

古くはジョージ・セルの演奏からブレーズの新録音、この状態の譜面でありペーター社譜面校訂者ポマーそしてサロネンと線の着目がある演奏が多い気がする。
60-8に隠れがちだが63問題は、此処のみ状態を同じくする後述のミュンシュ&ライナーの演奏などと合わせ演奏によっては音楽内容が別物になる重要な問題である。

現在ポマーとセルの演奏が欠番
   
       
 
ファンファーレ的合いの手が有る

管弦楽Ⅰ(疑似)
最初に現在出回ってる演奏のこのタイプは管弦楽Ⅲ(第二)に60-8小節のみ削除された金管パートの合いの手のみ復活させたものであり、初版のこの箇所のみ肯定して原点主義を疑似的に標榜する演奏である。
市販譜面でこの状態ものは存在していない。

60-8問題 62問題 63問題
断続 フレーズ

この演奏方針での演奏家も多く、殆どの60-8はこの方針がおおい、まれに63問題も復活させているものもあるがそれは後述する次第。

アンセルメと、その後継と目されていたデュトワ&ジョルダンのフランスの伝統もしくは特徴を売りにした演奏、もしくはカラヤンやハイティンクなどの普遍的な中庸なローカリティーを明快にした演奏もしくは、チェリビダッケやストコフスキーなどの独自の曲への見解を導き出したい演奏など孤高の立場を標榜している演奏家が多い気がする。

       

管弦楽Ⅰ(疑似改)

最初に現在出回ってる演奏のこのタイプは管弦楽Ⅱ(第一新)に60-8小節のみ削除された金管パートの合いの手のみ復活させたものであり、63のコルネットの三連音も復活している。
ゆえに、初版のこの2箇所のみ肯定して原点主義を疑似的に標榜する演奏である。
より初版に近づいたが後述の62の問題がある限り、疑似的変更であり市販譜面でこの状態ものは存在していない。

60-8問題 62問題 63問題
断続 三連



管弦楽Ⅱ(第一新)と同じ方針に加え多少豪快強直な演奏があるのは、金管の割合が増えたゆえのものかと感じる。

とくにその傾向のつよいミュンシュ/ボストンの録音やライナー/シカゴではあるが、それらカオス的様相を横目に、線の流れを程よく交通整理したコリン・デービス/ボストンの名録音もある。

     



管弦楽Ⅰ(旧)

62問題を含め初版の特徴を完全に具有若しくは再現している演奏 

   
非常に希少な例がおおく、モントゥーの直伝譜面による演奏、もしくはフロマンの極度のローカルなオケの持ち譜面が要因とおもわれる、ガラパゴス的残存例の演奏がある、前者には当該にのみ初版肯定の意図が感じられるが、後者ははたして?

   
 

例外的事例

管弦楽Ⅰa(/旧a)

初版スコアの次に出たと思わるる、とりあえず60-8小節の金管のみ削除した内容の出版譜面に基づく演奏、デュランから出ていた学習用小型スコア*の初版が後述の調査より想定できる。*現物は上野文化会館の資料閲覧で閲覧可能、現在同内容で全音スコアがある、第一楽章で打楽器の欠損、オイレンブルグやソビエトで妙な処理されるヴァイオリンソロでの写植漏れなども存在する。
演奏は下記以外皆無に近い。


60-8問題 62問題 63問題
連続 三連



シルヴェストリの演奏が現在確認できるそれにあたる。
LP時代に1905版と銘記あったのは初版のポケットスコアを初版と考えてのうえか憶測できるが?
 








     
海の家私極的興味チラシ


謎に挑む前にww・・・他の海で一休みのお勧めアマゾン芸的なチラシです。
この夏なんとも懐かしい・・・海のトリトンのサントラ全音楽が集成されて発売されるとのこと。
以下リンク作PR引用
1979年にLPで発売して以来、未CD化であった「海のトリトン テーマ音楽集」に加えて、未商品化BGMや主題歌・挿入歌も収録した、全音楽ファン必携の2枚組です。
以上引用

音楽はコルゲン鈴木でおなじみだった故鈴木宏昌氏になるものであり、初期のハービー・ハンコック思わせるフュージョンジャズを基調にロックに多種多様な音楽を親和させたもので世評ある伝説的アニメサントラなのは言うまでもない。
海のトリトン オリジナル・サウンドトラック
 
1977年の再放送で纏めてみて、本放送での遅い前半の展開で子供心に少々緩いと思っていたが、改めて思春期の夏にはなんといえない気持ちにさせられた思いでもあり、その音楽の70年代のフュージョン・ジャズの郷愁が、海の雰囲気を醸し出すには十分であり、この辺はNHK少年ドラマ「つぶやき岩の秘密」と双璧とも思える。
コルゲン氏もこの音楽のスコアを気に入ったらしく新たにセッションを録音したあたりにもその傑作ぶりがうかがわれる次第でありこちらも、近年幻の私家版から脱してCD化された。(左↓)
こんかいはオリジナルサントラであり、長らく全貌は聞けなかったものが集成されて発売となるのは大変興味深い。
トリトン(TRITON)
手塚関連の音楽作品の中でも抜群のレア・アイテムとして知られる『トリトン(TRITON)』(通称白ジャケ)がCD化。
Gosta Nystroemの海の交響曲
左下の記事
関連だがこの作曲者海の音楽を題材にしたものに重要なものが多い。
非常に穏やかで現代の音楽で首位の抒情を争うといわれる緩徐楽章を挟む陰鬱な嵐のと暗い海の音楽からなるこの交響曲はそうしたニューストレムの代表作。
よく似た部分の箇所がある海の楽曲
個人的に気になることがあるのは、サントラで
ポリトナール的な手法で三音アルペジオが印象的な音楽あるのだが・・・この左のギョスタ・ニューストレム(Gösta Nystroem、1890年10月13日 - 1966年8月9日スウェーデン)の海を題材とした管弦楽伴奏の歌曲の前奏に非常に酷似しており、偶然か?見識的な引用か?は不明だが、謎めいた一致が興味深い。
   
海の交響曲の最新録音
長らく上記音盤しかなかったが、2010年を超えて、新録音がなされた。
 また客演時のスヴェトラノフの音源が存在するあたりに、この曲の不可思議な魅了するちからを示している。なお緩徐楽章はソプラノで歌が入るが、その個所独立して歌曲で出版され20世紀の抒情の一端をふれることができる。右下オッターのアルバムから。